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故郷への道のり

1991年9月、私と妻は男の子の赤ちゃんに恵まれました。その翌月、私は入院して甲状腺摘出手術を受けました。私は甲状腺癌でした。

1992年1月のある夜、私と妻は結婚式からの帰り道で吹雪にあいました。赤信号で停車中、私たちの車は突然飲酒運転車に追突されました。私たちは二人とも首と背中を痛め、MRI検査(レントゲンの進化版のようなものです)を受けなければなりませんでした。MRI検査の結果、ヘルニア以外にも別の問題が見つかったとの連絡を担当医から受けました。私の頭の下垂体の部分に腫瘍が見つかったのです。妻と私は打ちのめされました。これが何を意味するのか、私たちには全く分からない状態でした。

私はニューヨークの専門医をたずねて検査を受け、このような腫瘍は99%が良性であるという説明を受けました。彼はさらにこのタイプの腫瘍は自然に縮む傾向があるので、すぐに摘出手術はしないと言いました。とりあえず半年に1度MRI検査をして様子をみることになりました。私たちは彼の診断に安心し満足して、普通の生活を送りながら半年に1度の検査を受けていました。

1994年の冬の終わり頃、私はそれまでに体験したことのない頭痛に悩まされるようになりました。これはただの頭痛ではありませんでした。医師の診断によるとそれは「群発頭痛」とのことでした。群発頭痛はそのあまりの苦しみから人々を自殺に追い込む病として知られています。痛みは突発的に襲っては消えます。そのほかにも私は後頭部に常に痛みを感じ、それは私の生命力を奪い取るようでした。痛みは激しさを増し、私は寝たきりになりました。あまりの痛みに私は再び病院へ行きました。腫瘍が出血していることをおそれて、今回は医師が自ら緊急のMRI検査を行いました。幸運なことに出血はしていませんでしたが、私の腫瘍はすぐに手術が必要なほどの大きさに拡大していました。

1994年5月、私は脳の手術を受けることが決まりました。頭の手術を受けることに対する不安は想像を絶するものがあります。3時間に及ぶ手術は成功し、腫瘍は取り除かれました。回復期は長く、うんざりするものでした。不幸なことに下垂体は一度手を加えられると機能しなくなってしまうのです。下垂体は肉体作用のほとんどを司る腺ですから、私は薬に頼るしかありませんでした。ホルモン剤を4服とヒドロコルチゾン(副腎皮質のステロイドの一種)30mgを毎日とらなければなりませんでした。それに加えて3週間に1度、テストステロン(男性ホルモン剤)の注射をしなければなりません。担当医はもし私の下垂体が術後1ヶ月以内に機能しなければ、回復の見込みはないだろうと言いました。そしてそれは回復しませんでした。妻と私は再び新たな日常パターンを受け入れ、生活していかなければなりませんでした。

ある日私は「ヒーラー」に関するテレビ番組を見ていました。代替療法についてよく知らなかった私は、その内容に非常に興味を持ちました。私はすでに医学の世界からは見放されていたので、私の下垂体を治してくれるヒーラーを探すことを決意しました。戦わずしてあきらめるような人間では決してありませんでしたので、私の下垂体はすでに数ヶ月間機能不全のままでしたが、健康な体に戻してくれるヒーラーを見つけ出すことに決めたのです。捜索は1年以上にも及びました。

1995年6月、癌の定期検査で外科医は私の首の右側に腫瘍を見つけました。CATとMRI検査により、甲状腺癌がリンパ節に転移していたことが分かりました。手術は7月に予定されました。妻と私はこの手術が成功してすべてが元通りによくなると、ポジティブに考えるようにしました。ヒーラーの捜索は一時中止になりました。

手術は5時間にも及びました。首の右側の根治手術でした。88のリンパ節が除去され、そのうちの22が癌に侵されていました。この手術は非常に苦しいもので、回復するのにほぼ3ヶ月を要しました。この手術から回復すると、私は再びヒーラーを探し始めました。4年以内に3度の大手術を経験してもなお、私はもとの普通の体に戻ろうと決意していたのです。

私が見たヒーラーのテレビ番組に関してカリフォルニアのNBCに送った手紙の返事を受け取ったことで、私の捜索はクライマックスへと達しました。いくつかの連絡先が私のもとに送られてきました。私はすべての連絡先に連絡しましたが、最も印象的だったのはロサンゼルスのドクター・エリック・スコット・パールでした。私は興奮しました!私の捜索がついに終わったのです。とうとう私は本物のヒーラーのセッションを受けることになりました!

1995年11月、妻と私はドクター・パールに会いました。私の下垂体はすでに1年半以上機能していませんでした。医学的に言えばそれは絶望的でした。私は自分の状態を説明したあとで個人セッションを受けました。それは本物の体験でした。彼は私の頭に手をかざしました。数分後、私はすさまじい熱を感じ、ついに私は意識を失いました。目覚めると私は混乱していました。彼はこのヒーリングの結果はすぐに現われる場合もあれば時間をかけて現われる場合もあると説明しました。私の状況を知るために、なにか進歩があれば彼に電話か手紙で連絡するようにと言われました。

1995年12月、ドクター・パールのセッションから約3週間後、私の体に新たな変化が現われ始めました。私の直感どおりこれ以上薬が必要ないことを担当医も確認してもらい、私は医師の管理のもと薬離れに取り組み始めました。3ヶ月後の現在、私は95%薬に頼らずに健康な下垂体を保っています。そのうち100%薬が必要なくなることを、私も担当医も期待しています。私の検査結果は現在正常です。素晴らしい気分です。手術以前よりもずっとスタミナがあります。私は元気いっぱいです。妻と私は再び健康で正常な生活を送っています。

最近の正常な検査結果を受け取った後、私は担当医にヒーラーについてどう思うかと質問しました。一瞬沈黙した後で彼は「ただひとつ私に言えることは、私の理解が及ばない奇妙な現象が世界中にはたくさんあるということです」と答えました。

その後の検診でも、私の奇跡的な回復が確認され続けました。私はドクター・パールに連絡をとり、この結果を彼に知らせました。私のヒーリングの結果を聞いて、彼は心から喜んでくれました。

父親であり自営の建設業者である私にとって、朝新聞に目をとおすことや宇宙の神秘についてあれこれ考える時間を持つなどということはひとつの贅沢ともいえます。稀にそのような自由な瞬間を見つけたときには、ドクター・パールのセッションを受けて以来私に起こった素晴らしい出来事のすべての意味について考えます。私自身もまた、理解が及ばない奇妙な現象が世の中にはたくさんあるということに気づきました。私と担当医がひとつだけ理解していることは、私があの日ドクター・パールによって癒されたという事実です。この事実について自慢するつもりはありませんし、正当化する必要もありません。これを理解する必要さえもないのでしょう。私に分かることは自分が健康を取り戻したということだけです。そしてそれは故郷への長い道のりでした。


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