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庭の中の女性 11歳のある朝、私はパニック状態で目覚めました。熱すぎて呼吸すらできなかったのです。顔の汗を拭こうとしたとき、自分の手も顔も舌も2倍の大きさに腫れていることに気づきました。瞼が腫れてほとんど目が閉じていたので、目の前に立っている母の姿も見えませんでした。母は私に薬を飲ませようとしていました。このようなことは初めてではありませんでしたが、このときが最悪でした。母は私を車に乗せ、救急病院へと運びました。私は自分が死んでしまうと思い、とても恐くなりました。母は「何も心配することはないのよ。私たちがなんとかするから。」と言い続けていました。彼女は正看護師で、人々をなだめるのが彼女の仕事の一部でした。しかし状況は悪くなるばかりでした。 私はそれから数日間ベッドで過ごし、夜は母が働く緊急病棟で過ごしました。体中に奇妙なできものができ、そのうちのいくつかが大きなみみずばれのようになりました。すべての関節が腫れ上がり、体中が痛みました。医師たちは一度にこれほど多くの奇妙な症状を起こす子供をそれまで見たことがなく、何が原因なのか分かりませんでした。そのため彼らは私を専門医のもとへ送りました。何ヶ月にも及ぶ検査と様々な薬剤により、私はリューマチ性関節炎と結合組織の病気であることが分かりました。医師は皮膚結核もあるかもしれないと言いましたが、検査結果は確定的ではありませんでした。この結果に対する処置はそれから6週間、1日にアスピリンを10錠−そうです、10錠です!−飲もことと、ストレスのかかる活動をしないことで、体育の授業さえも禁止されました。 それから数年が経ちました。私はいつしか痛みを受け入れることを学びました。さらには「なにが問題なのかわかりません」と言う答えを受け入れることも学びました。私は微笑み、人によい印象を与える方法を学びました。それは人々が思っているよりもずっと辛いことで、いつまでも続けられることではありませんでした。数年の間はなんとかうまくやりましたが、20歳になった頃には私は疲れきって、憂鬱で、毎日やっとのことでベッドから起き上がり仕事へでかけるようになっていました。そこで再び私は何箇所か病院へ行き、今度はひどい鬱病と診断されました。私は様々な種類の抗鬱薬を試し、それによって生きることが少しは楽になりましたが、体調はまったく改善しませんでした。振り返ってみると私がなぜ鬱状態だったのかよく分かります。毎日私のように具合が悪ければ誰でもそうなるはずです。私は病院へ行き、医師は私の子供時代の記録に基づく検査をいくつもし、単に鬱病ではなく以前の皮膚結核の診断が正しかったということが分かりました。私は再び様々な薬を処方されましたが、それらはせいぜい数週間しか効き目がありませんでした。 次に私はリュウマチの専門医をたずねました。新たな薬を試し、体調が悪化したり蕁麻疹がでたりしたものの、やがて効果がある処方が見つかりました。その処方とはプラキニル200mgを1日3回と、それに加えてロディーン800mgとタガメット400mgを1日に2回です。これが医学的なアプローチから到達した最高の結果でした。しかしながら悲しいことにそれらは非常に高価な薬剤で、私と母にとってそう長くは続けられませんでした。皮膚結核の医学的な治療法はないにもかかわらず、母はより永続的な別の治療法を探し始めました。そしてある日1人のヒーラー、ドクター・エリック・スコット・パールが出演していたサリー・ジェシー・ラファエルというテレビ番組を見たのです。母は私に何も言わずに彼に診察してもらうための準備をすべてと整えました。すでに出発してから最初の6時間が過ぎた頃になって、母は彼が代替療法のヒーラーであること、私に手を触れずに私を治してくれることを私に説明しました。私は大笑いをし、母に精神科のカウンセリングを受けるべきだと強くすすめました。これに対して彼女は「何を失うものがあるっていうの?」と私に言いました。これまでの経緯を振り返ると、私はそれ以上母に反論することができませんでした。しかも私という人間をよく知っている母は、もう引き返すことができないほど遠くまで来てから私にこのことを話したのです。 「いかさまに決まっている」と思いながら、私たちは11時の予約に間に合うよう到着しました。私が疑い深いと思われても仕方ないと思います。オフィスに入ると書類を書かされ、すぐに受付のキャシーが私をヒーリング・ルームへと案内してくれました。そこには診察台が置かれ、やわらかい照明と、BGMには海の音が流れていました。キャシーは私に靴を脱いで横になり、リラックスするようにと言いました。彼女がそう言うのは簡単でしょうが、私にはリラックスなど到底できませんでした。 数分後ドクター・パールが現われると、驚いたことに彼は普通の人間のように思えました。私の主要な問題である両手について少し話をしました。彼は私に片手を上げるように言いました。彼は私の手には触れずに、両手で私の手を挟むようにしました。そして円を描きながらゆっくりと手を動かし始めました。突然風のような感覚を手に受け、圧倒的な花の香りに包まれて、私は怖くなりました。それはそれまでに一度もかいだことのない花の香りでした。「これはものすごく変だ。彼の両手の動きはゆっくりすぎて風が起きるはずはない。それにこの花の香りはなんだろう?彼はどうやってこんなことをしているのだろう?」と考えました。それから彼がもう一方の手に移ると、同じように風のような感覚が起こりました。目を閉じるように言われましたが、私は「彼は変人だし、私は気が狂っている!」とばかり考えていました。 私は目を閉じ、彼が私の体の回りをゆっくりと歩き回ると−彼が何をしているのかは分かりませんが−風の感覚は彼の手に従って移動しました。次に起きたことに私は跳び上がりました!私は目を見開きました。ドクター・パールは「どうしましたか?」とたずねましたが、私には答えることができませんでした。私はただ「何でもありません」と答えましたが、本当は「熱すぎるから私の足首から離れて!」と言いたかったのです。実は私はアリゾナのインディアンの医師からもらったヒーリング・ストーンを左の足首につけていて、ドクター・パールがその石に近づくたびに足首が非常に熱くなったのです。これは本当に気味が悪く、私は不安でした。 残りのセッションの間も私はリラックスすることができませんでした。やっと終わった時にドクター・パールは私にどんな体験だったかを聞きました。私は彼に風のような感覚と花の香りについて話しました。彼はその花の香りがなんだか分かるかと聞いたので、私は「あなたです」と答えました。すると彼は自分ではないと答えたので、私は彼に臭いを嗅いでもいいかとたずねました。彼は笑って「いいですよ」と言いながら私の言うとおりにさせてくれました。すると当然のように彼は花の香りなどせず、その香りはほとんど消えてしまいました。 彼はいくつかメモをとり、準備ができたら出てくるように私に言って部屋を出て行きました。私はその場に10分から15分ほどとどまり、風と香りの原因を説明できる何か、送風機や花の香りのお香でも何でも、とにかく見つけようと探し回りました。壁にかけてあった大きな絵や家具までも動かして調べました(これはまだ彼に打ち明けていません)。けれども何もありませんでした。そして以前にもまして私は自分の気が狂っていると思いました。私は診察室を出るとドクターと短い言葉だけかわして去りました。いそいでその場を立ち去りたかったのです。これは私が体験した中で最も奇妙なことでした。母が運転する帰りの車の中で私はずっと眠り続け、目を覚ました時には手の痛みが和らいでいました。単なる偶然だと私は思いました。 私はいつもの通りに薬を飲み、特になにもせずに次の1週間を過ごしました。頭にはドクター・パールの次のセッションのことが浮かんでいました。行きたくはありませんでしたが、私たちは再び荷造りをしてカリフォルニアへと向かいました。2度目のセッションに行く時、私はとても緊張していました。このときもキャシーが私を案内してくれて、私は靴を脱ぎ診察台に横になりましたが、驚くことにとてもリラックスできました。ドクター・パールが現われていつもよりわずかに良くなった私の状況について少し話をしました。それから彼は私にリラックスして目を閉じるように言いました。彼はヒーリングを始めるところでした。 目を閉じると突然私は説明しようのない安らぎを感じました。手の辺りに風を感じ、圧倒的な花の香りに包まれました。これはどこから来るのだろう?と私が考えていたその時、1人の女性が現われました。顔は見えませんでしたが、彼女の風になびく白いドレスと黒っぽい髪が見えました。彼女は私の上に広がる花々が咲き誇る見事な庭から私に手を差し伸べました。それはまるで彼女が言葉を使わずに「私の手をとって庭を歩きましょう」と話しかけているようで、私は目を開けることができませんでした。私はドクター・パールがその場にいることを完全に忘れてしまいました…あるいは私はその部屋にいなかったのかもしれません。なんと奇妙なことでしょう!私はそこへ行きたかったので手をのばし引っ張られるのを感じると…ブーンと一瞬のうちに私は彼女と花の庭にいました。そして彼女は現われたときと同じようにすばやく消えてしまいました。 私は目を見開き、ドクター・パールはヒーリングを終えました。彼は私に大丈夫かとたずねました。私はひどくおびえていて、いま起きたことを彼に話すことができませんでした。私はただもう帰りたいと思いました。彼が診察室から出て行くと、私もその時は何も探さずにその場を去りました。私が診察室から出てくると、フロントデスクで母とドクターが話しをしていました。私は何も言わずにドアを出て行きました。母がすぐ後についてきました。外へ出ると私は泣き出してしまいました。いま起きたことを母にも、誰にも話すことができませんでした。母がなんと思うでしょう、他の人々は私のことをどう思うでしょうか?自分は本当に気が狂ってしまったという思いに1人おびえていました。私たちはそのままその夜泊まることになっていたホテルに向かいました。翌日最後の予約を入れていたのです。その夜私はほとんどなにも話しませんでした。 あっという間に翌朝になりました。本当に行きたくなかったものの、私はセッションを受けにいきました。とても恐かったのです。「早く終わらないだろうか?」とセッションの間中考えていましたが、実際それはすばやく終わりました。ドクター・パールがなにかおかしいことに気づいたのだと思います。次の予約をとろうと必死になっている母に、本人がセッションを受けたいと言わない限り決して連れてこないようにと彼が言っているのを聞きました。彼は私がこのセッションを受けたくないと思っていること、その場にいるのを辛く感じていることを母に話していました。彼は正しかったのです。私は彼の前に歩み出て丁寧に感謝し、私たちは家路につきました。それは私にとって間違いではありませんでした。その後の2日間、私はアリゾナ州ブルヘッドのすべての花屋を訪ね歩きました。あの花を見つけるか、またはあの香りの原因をつきとめなければ気が済みませんでした。それを見つけ出しさえすれば、私の気が狂っていないことが証明されるとでもいうかのように。けれども見つけられなかったらどうなるでしょうか? 私は必死で探しましたが、見つけることができませんでした。どこの花屋へ行っても、私が説明した花も香りも知る人は誰もいませんでした。それはまるで地球上には存在しないかのようでした。それから1週間後、私はようやくドクター・パールのオフィスで体験したことを泣かずに話せるようになりました。(自分を無神論者と認めるこの出来事は、私の信念を核心から揺るがしました。)しかし実際にこのことについて話してみると、それは私を不安から解放してくれました。このことを話すと私を変な目でみる人もいるにはいますが、そんなことを気にしてはいられません。このようなことが実際にあるということを人々は知るべきです。もし母が私をロサンゼルスに連れて行ってくれなかったら、今私はどうなっていたか分かりません。そのお返しに、私の言葉が他の誰かを助けることができればと願っています。ドクター・パールの3回のセッションを受けてから私は100%回復しました。それまでに決してできないと思っていたことができるようになりました。以前はベッドから起き上がるのに数時間かかっていましたが、今では何の苦労もなく起き上がることができます。私は彼氏が開けられないビンのふたを開けることもできるのです!体がバラバラになるかと感じることなく、運動やエクササイズができます。そして両手と両足首が痛んだりむくんだりすることがないので、今ではアクセサリーを身につけることもできるようになりました。そしてなによりも最高なことには、薬を飲む必要がなくなりました。 母親というものは、私たちが認めるよりもずっと多くを知っているものです。私の母はそうでした。私が自分の気が狂ったと思い込んでいる間、母はドクター・パールについて調べ、彼のヒーリングがアメリカ中で研究されていることを知りました。天使に出会い、空の上の花の庭を歩いたのが私だけではないことを知って私はすこし安心しました。ドクター・パールを見つけ出し片道6時間の運転をして私に彼のセッションを受けさせ、私自身がすべての希望を捨ててしまっても決してあきらめずにいてくれたことを、いつの日か母に感謝できることを願っています。何と言っていいのか、どう説明していいのか私には分かりません。ただ私に言えることは、このヒーリングには効果があるということです。私は2度命を授けられたように感じます。1度目は母から、2度目はドクター・パールから。感謝の言葉もありません。どうぞ私を変人と呼んでください…
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